下妻物語に関連して
昨日の続きにちょい思った事を書くです..._〆(゚▽゚*)
何にせよ、日本はああいったサブカルチャーを織り交ぜた側面の作品表現は本当に強い、つか面白い。
大雑把ですが、枠としての文化なんてものは、そこに人が住み何百年か立てば当然成り立ち、それぞれに特徴があり、それを色々引き比べて上も下もヘチマもイカの頭もない訳です。
だけど、こと庶民文化というか、江戸期の熟成具合もさる事ながら、ここ近年の細分化した混沌模様のサブカルチャーは、多様で多彩、ちょっと踏み入れる足を間違えれば理解不能…なんて、そうそうありませんよ他国では
それぞれ、理解や体現するには時間がかかるサブカルという深い趣味の一部、ではあるんだけど、一まとめの塊のように外から眺めると、理解不能ながらそれはもう文化という枠を越えちゃってるように感じます。
だって、イタリアの片田舎にコスプレに命をかける少女がいたり、日本式の少女漫画を読む事に飽き足らず自らオリジナルを描いて出版しちゃう女性がドイツやタイにいたり、米国各地では日本車のみの改造車レースに没頭するグループがあるかと思えば『火垂るの墓』に涙を流す家族がいたりと、その拡散や定着度合を考えると、もはやこれは現代におけるちょっとした文明が広がったようなもんです
昔、書かれていた司馬遼太郎氏の言葉を借りれば、文明とは例えば米国の作業着にすぎなかったジーンズが、ある時期ファッションとしてカッコイイとなれば世界中に伝播していくのがそうで、かたや文化とは、例えば日本における、立って開ければ簡単な障子をわざわざ座って開くのが美しいと感じるのがそうだと。
つまり、様子が良い・便利・美味い等々、普遍的広がるのが文明で、理屈にはずれていようが、不便で他者からは理解出来なくとも独創的な様式美がある、それが文化という事ですね。
だからこの日本のサブカル、無論個々は趣味文化なんだけども、伝播全体を指す場合、規模からいって文明チックな側面があると考えて差し支えないかも?などと思う訳です。
…さて、話も取り留めなくなってきたんで最後に、お金を出す人達に一言。
三流の映画や四流のドラマを近場から引っ張って来て安易な商売をするよりは、国内のクリエータや現場にお金回してあげてくださいよ…このすっとこどっこいの唐変木ども
…お願いします m(_ _)m
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101134/5473678
この記事へのトラックバック一覧です: 下妻物語に関連して:


コメント